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登美丘高校のダンス部の元キャプテンとして活躍していた女優の伊原六花さん。
バブリーダンスで有名となり、鳴り物入りで芸能界デビューを果たしました。
昨今ではドラマ初主演の起用もされていて、芸能界の期待のホープとして名が挙がってきています。
そんな伊原六花さんですが、実は韓国人なのではないかというウワサが出ています。
伊原六花さんは韓国人なのか?真相を確かめるべく調査しました。
ぜひご覧ください!
伊原六花は韓国人ではない!
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結論を言うと、伊原六花さんは韓国人ではありません。
日本人と韓国人のハーフというわけでもなく、純粋の日本人です。
伊原六花が韓国人ではないと言える根拠
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どうして伊原六花さんが韓国人ではないと言えるのか?
韓国人ではないと言える根拠について迫ります。
両親が純日本人
韓国人ではないと言える理由は伊原六花さんの両親です。
伊原六花さんの両親は一般人であるため、職業や名前等は公開されていません。
伊原六花さんのyoutubeチャンネルの動画にて、声だけで両親が出演している場面がありますが流暢な日本語で話しています。
もし在日の方だと、話し方にたどたどしさが残るため韓国人という可能性はかなり低いのではないでしょうか!
伊原六花が韓国人と噂された理由
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伊原六花さんが韓国人ではないということは説明させていただきました。
ここからは伊原六花さんが韓国人と噂された理由について説明させていただきます。
理由①伊原六花という芸名
理由の1つが「伊原六花」という名前です。
「伊原」という名前の方は在日韓国人の方が多く、日本の通名で「伊原」という名字を名乗ることが度々あるみたいです。
韓国で「尹」(ゆん)と付く名前の人が、漢字が近いこともあって「伊原」と使うことがあるようです!
俳優として活動している伊原剛志さんも、在日韓国人3世で日本国籍に帰化していることが知られていますね!
ただ、伊原六花という名前は実は芸名なのです。
伊原六花さんの本名は、林沙耶(はやし さや)さんです。
なので、実際には「伊原」という苗字ではない……ということになりますね!
理由②韓国人のような顔立ちだから
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理由の2つ目は伊原六花さんの顔立ちです。
大きな瞳が特徴的で、肌も白い伊原六花さんの顔は韓国系の顔だと言われています。
韓国のアイドルはきれいな方が多いので、伊原六花さんの顔が同じくらいにきれいに見えるということですね!
理由③出生地が在日韓国人が多い大阪府だから
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理由の3つ目は伊原六花さんの出身地です。
伊原六花さんの出身地は大阪府狭山市。
大阪府と言えば生野区と鶴橋にコリアンタウンがあり、韓国の方も馴染みやすい街となっています。
そのため、大阪には在日の韓国人も多いのです。このことも韓国人ではないかという噂の理由の一つですね。
理由④ダンスが上手だから
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理由の4つ目は伊原六花さんのダンス力の上手さです。
伊原六花さんはダンスパフォーマンスが高く、Youtubeの動画にてダンスを踊る動画を挙げています。
韓流アイドルはダンスの技術が高く、伊原六花さんのダンス力が高いということも韓国人ではないかという噂になった原因です。
伊原六花さんは高校時代にバブリーダンスで有名になったので、そのころからダンスの能力は培われていたのでしょうね。
なので韓国でダンスを習ったという話は出ていません。
伊原六花の生い立ち
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以上が伊原六花さんが韓国人と言われていることについてです。
ここからは伊原六花さんの生い立ちについてまとめます!
幼年期のエピソード
伊原六花さんは1999年6月2日に大阪府狭山市で生まれました。
大阪府狭山市は、大阪府の南河内に位置する自然豊かな山間の街です。
幼い頃は和歌山に住んでいる祖父の家によく遊びに行っていたみたいです!
小さい頃からバレエを習っていたみたいで、ダンスで発揮される姿勢の良さはこの頃から身についていたのですね!
バレエを習った経緯はお姉さんが先にバレエをやっているのを見て「お姉ちゃんができるなら私もできる!」という理由で始めたそうです!
姉妹間で対抗心があったのでしょうね!競い合うことはお互いに切磋琢磨できますからね!
また、幼年期のころから喘息持ちだった伊原六花さんですが、習い事はバレエだけでなく水泳と軟式テニスも習っていました。
小学生時代のエピソード
小学校は大阪府狭山市の公立小学校に入学した伊原六花さん。
小学2年生の時に友人が出演する舞台を観る機会がありました。
負けず嫌いな性格の伊原六花さんは「私にもできる」と思い、ミュージカルに興味を持ち始めます。
小学3年生から「子供ミュージカル」でダンスやコーラスのレッスン等の演劇を習いはじめます!
ここでも伊原六花さんのメラメラとした闘争心が沸き立ったのですね!
その闘争心が伊原六花さんをここまで引っ張りあげてくれたのかもしれませんね!
子供ミュージカルに専念するために、他の習い事は辞めてミュージカル1本に絞った伊原六花さん。
今まで続けてきた習い事を辞めて新しいことを始めるには、相当の覚悟を持っていたのでしょうね!
中学生時代のエピソード
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中学は大阪狭山市立第三中学校に入学したと言われている伊原六花さん。
以外にも部活動には入部していなく、帰宅部でした。
その分、ダンススクールに通学して3年間ダンスに打ち込む日々を送っていました。
中学1年生だった2012年に、劇団アークスが主催するミュージカル「ズボン船長〜Fifi & the Seven Seas〜」のオーディションに参加し、見事合格を果たしています!
学生生活では、伊原六花さんは学校行事が大好きでクラスをまとめたいという思いもあり、学級委員も担っていました!
生意気で反抗的だった中学時代
伊原六花さんは中学時代、以外にも周囲に対して生意気で反抗的だったようです。
当時のことを本人は「当時の私は、いわゆる思春期で、やりたくないことはやらないし、やりたいことは反対されてもやる。良くも悪くも白黒はっきりしていて、生意気だったと思います」と振り返っています。
校則で禁止の短いスカートを履いたり、化粧をして登校したこともあったようです。
そんな中で、松川先生という体育担当の先生が熱心に向き合ってくれたみたいで、態度を徐々に軟化させていったようです!
ダンス部の動画を見て登美丘高等学校進学を決意!
ある日、Youtubeを見ていた伊原六花さん。
その時にふと登美丘高等学校のダンス部の動画を視聴していました。
その動画を見て感銘を受けた伊原六花さんは「これだ!」と思います!
進学先を登美丘高等学校にしようと決心した伊原六花さん。しかし、伊原六花さんが登美丘高等学校を目指すには学力が足りないだろうと言われていました。
それでも夢をあきらめず、日々猛勉強をした伊原六花さん。
受験で合格し、見事に登美丘高等学校の一員となったのです。
そして登美丘高等学校に入学したことが、伊原六花さんの運命を大きく変えることになったのです。
高校生時代のエピソード
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登美丘高等学校に入学後、もちろんダンス部に入部した伊原六花さん。
中学時代に部活動を経験していなかった伊原六花さんにとって、登美丘高等学校のダンス部は入部した直後はかなり厳しい部活だと感じていたみたいです。
歴代の個性が強い先輩たちに圧倒され、現実の厳しさを思い知らされたようです。
入部当初は部長として活動を始めた伊原六花さん。コーチをはじめ他のメンバーともなかなかうまくいかない日々が続きます。
そんな中でもあきらめずに色々と話し合い、相談し納得していく、みんなで作り上げるダンスを大事にしていたそうです!
登美丘高等学校のダンス部は数々の大会で優勝を果たしている名門校ですから、プレッシャーも半端なかったでしょうね!
キャプテンに就任し、チームを優勝・準優勝へ導く!
部長としての役割に慣れてきたころ、伊原六花さんはダンス部のキャプテンに任命されます!
ダンス部のキャプテンとして部員への指導も行い、それぞれの大会で
- ライオンズダンス大会優勝
- DCC全国大会優勝
- ダンススタジアム全国大会準優勝
と輝かしい成績を収めています。
特に2017年に行われた日本高校ダンス部選手権大会(ダンススタジアム)で荻野目洋子さんの楽曲「ダンシング・ヒーロー」に合わせて、伊原六花さんがセンターを務めた「バブリーダンス」は世間から大注目を浴び、テレビからも引っ張りだこの状態になりました!
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目標を「かっこいいダンス」と決めて自宅を朝7時に出かけて朝練、授業の合間に早弁して、昼休みと放課後にひたすらダンスの練習に励んだ伊原六花さん。
見事に世間から「かっこいいダンス」を評価される、夢が叶った瞬間でした!
大学に進学せず、芸能活動に専念
登美丘高等学校卒業後は大学に大学に進学せず、芸能活動に専念することを決めた伊原六花さん。
実はバブリーダンスで注目されていた時に、芸能事務所からスカウトがあったのです。
ワンチャンスをモノにした伊原六花さん。何か持っているのかもしれませんね!
伊原六花が芸能界に入るきっかけ
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ここまで順風満帆と言えるサクセスストーリーを歩んできている伊原六花さん。
伊原六花さんが芸能界を目指すきっかけはなんだったのでしょうか?
小学生から芸能界への憧れがあった
伊原六花さんがバレエの習い事をしていたころ。
実はぼんやりと芸能界への憧れ自体はあったみたいです。
しかしがっつり目指したい!というわけではなく、どんな世界なのだろう?という興味があった程度だったみたいです。
小学2年生から高校1年生までミュージカルスクールに通う
小学2年生から高校1年生まで、子供ミュージカルに通っていた伊原六花さん。
小さい頃から舞台に立って演技をする……いわゆる子役のような経験をしていたのです。
ここでの経験が、後のお仕事につながるのですから運命とは不思議なものですね!
高校のダンス部の取材で芸能事務所からスカウトされる!
登美丘高等学校のバブリーダンスにて人気が殺到したダンス部。
ダンス部の取材後、伊原六花さんは芸能事務所「フォスター」のスタッフからスカウトされます。
芸能界に対してぼんやりとした憧れはあった伊原六花さん。
しかし芸能界に入ることは考えたことすらなかったとのこと。
難しい世界……ここで断ったとして、チャレンジしてみたいと思ってもまたできることではない……
伊原六花さんは芸能界を目指すか、悩みに悩みます。
芸能事務所入りの背景に両親からの後押し
芸能事務所からスカウトされたことを家族にも報告。
反対されるかと思いきや、両親からは「こんなチャンスはなかなかないし、無理やったら帰ってきたらいいんやから、一回やってみいや」と背中を押されます。
事務所に行って実際に話を聞いてみると、スタッフが温かい人ばかりで、両親も安心して「東京に行ってらっしゃい」と送り出せる感じだったようです。
実際にやってみて無理だったら無理で、また考えよう……
伊原六花さんは芸能界に入ることを決意!見事門戸を開け、芸能界へと飛び込んだのです!
両親の言葉が無ければ、女優・伊原六花の誕生も無かったのかと思うとなかなか感慨深いですね!
今後の伊原六花さんの活躍にも期待大ですね!
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