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2023年3月2日にこの世を去った新興宗教団体「幸福の科学」の創始者であり元総裁の大川隆法さん。
彼を支持していた方も多く、その訃報には世間では大々的なニュースとなりました。
今回は大川隆法さんの家族構成についてまとめていきます。
大川隆法さんは何人の家族がいるのか?
家庭ではどのような生活と子育てをしていたのか?
気になる情報をまとめていきます。
ぜひご覧ください。
大川隆法の家族構成
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大川隆法さんの家族構成は奥さんの大川紫央(しお)さんと子供が5人です。
子供が5人とはなかなかの大家族ですね!
ちなみに子供は5人とも前妻の大川きょう子さんの子供です。
大川隆法さんと大川紫央さんの間に子供はいません。
長男:大川宏洋(ひろし)
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子供5人のうちである長男は大川宏洋(ひろし)さんです。
大川宏洋さんは1989年2月24日に生まれました。
早稲田大学高等学院に進学しますが途中で中退。
青山学院高等部に入り直して卒業し、青山学院大学に進学して法学部に所属します。
2012年3月に青山学院大学法学部を卒業した後、「幸福の科学」に入信し、理事長・副理事長になります。
しかし数年後、「幸福の科学」を離れて大手ゼネコンの清水建設に就職します。
清水建設での仕事は激務で難儀したと大川宏洋さん自身が語っています。
3年ほど清水建設で働いた後、再び「幸福の科学」に出戻りすることに。
2016年には「幸福の科学」グループ内の芸能部門である「ニュースター・プロダクション」社長に就任します。
大川宏洋さんは社長業だけでなく、タレントやアーティストとしても活動していました。
複数の業務をこなすなんて、なかなか器用ですよね!
その後は映画プロデューサーや、タレントとしての活動をしていましたが、YouTubeチャンネルを立ち上げ、幸福の科学を批判する動画を出しています。
現在は「幸福の科学」を懲戒免職され、教団とは関係を絶っているみたいです。
一度結婚はしており、子供も1人いるみたいですが現在は離婚しており、元妻に家賃15万円と養育費4万円を支払っているとのことです。
長女:大川咲也加(さやか)
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2人目の子供は長女の大川咲也加(さやか)さんです。
大川咲也加さんは1991年2月16日に生まれました。
豊島岡女子学園中等部・高等部で学を修め、大学はお茶の水女子大学に進学します。
政治的な手腕が評価されていて「組織をしっかり作る」「頭が切れて政治的な根回しを綿密に行う」と信者の人たちからも評判でした。
2015年に同職員常務理事の大川直樹さんと結婚して、息子が1人います。
60点以上もの著書も出版しているようで、現在は脚本家と歌手として活動をしているみたいです!
ニューヨーク国際映画賞、ヒューストン国際映画祭などアメリカで数々の担当楽曲を受賞するなど類まれな才能を見せているとのこと!
長男の大川宏洋さんいわく我が強い性格で、兄弟の中でも口喧嘩が強いと発言しており大川隆法さんの次の総裁として期待されていました。
しかし大川隆法さんが亡くなる4日前に地方に左遷されたとのことなので、後継者候補からは外れたのではないかという見通しです。
次男:大川真輝(まさき)
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3人目は次男の大川真輝(まさき)さんです。
大川真輝さんは1993年に生まれました(月日は不明です)。
開成中学校・高校から早稲田大学に進学し文化構想学部で学を修めます。
学校に行きながら幸福の科学に奉職していたようで、その後は専務理事と事務局長を務めていたとのこと!
お坊さんとしての説法も上手だったみたいですよ!
2016年に同じ幸福の科学職員の大川瑞保(みずほ)さんと結婚しています。
中国大使館の前でデモを行ったり、 反原発デモ隊と掛け合うなどかなり芯の強い人間性を持っているとのこと。
大川隆法さん逝去後の前妻・大川きょう子さんのインタビューでは、大川瑞保さんとは離婚したということが触れられていました。
三男:大川祐太(ゆうた)
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4人目は三男の大川祐太(ゆうた)さんです。
大川祐太さんは1995年に生まれました(月日は不明です)。
麻布中学校・高校で勉強した後は東京大学に進学し、法学部に入ります。
東大生だったころは幸福実現党の政治顧問を学生でありながら務めた実績があります。
大川祐太さんは喋りが上手だったようで、自分自身でアイディアを出して様々なプロジェクトを立ち上げることもできたようです!
霊言もできる多様な才能を持っていて、見た目も中身も大川隆法さんに1番そっくりだった子供でした!
そのため大川隆法さんは大川祐太さんをかわいがり、他の兄弟とケンカしても大川祐太さんは怒られなかったようです。
2017年に大川祐太さんは女優の雲母さんと学生結婚をしています。
大川隆法さん逝去後の前妻・大川きょう子さんのインタビューで、歌手デビューしたいので韓国に渡ったと触れられています。
それと同時に女優の雲母さんとは離婚したと言われています。
次女:大川亜里沙(ありさ)
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5人目は次女の大川亜里沙(ありさ)さんです。
大川亜里沙さんは1997年に生まれました(月日は不明です)。
学歴は幸福の科学学園那須校からハッピーサイエンスユニバーシティ高校という他の兄弟とは違って、すべて幸福の科学が運営する学校に通ってきた珍しい学歴の持ち主です。
女優の清水富美加さん(※現在は千眼美子と改名)が所属していた「レプロエンタテインメント」の顧問に就任していた時期もあり、顧問を辞めた後は映画制作に携わる仕事をしていたとのこと。
自身が映画が好きだったということもあり、自主制作の映画も作っていたみたいです!
そんな大川亜里沙さんは幸福の科学の職員時代は酒癖が悪かったというウワサがあります。
そういった素行不良もあってか、2020年1月に幸福の科学から粛清(いわゆるクビ)されたとのことです。
大川隆法の家族と幸福の科学
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こうして見ると大川隆法さんの子供ということもあり、全員が幸福の科学に関係していますね。
しかし現在も幸福の科学に関わっているのは妻の大川紫央さんと長女の大川咲也加さんの2人だけ…
長男の大川宏洋さんは早くに幸福の科学を離脱しているうえ、他の兄弟たちはもはや消息不明だとのこと。
残っている大川紫央さんと大川咲也加さんも権力争いをしているとのことで、家庭関係はぼろぼろの様相を呈しています…
一家解散の状態になっている大川家。
大人になってからは自分の人生だとはいえ、そこに幸せはあったのでしょうか?
大川隆法は子供たちをどのように子育てをしたのか?
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大川隆法さんは子供たちにどのような育て方をしていたのでしょうか?
総裁の立場である大川隆法さんは子育てに関しては子供に直接話すことなく、5人それぞれに自分の秘書を教育係として任命していました。
幼稚園には「下人と関わるな」「行く暇があるなら勉強をしなさい」と言われて、行かせてもらえなかったとのこと。
両親はずっと仕事をしていたので顔を合わせるときは食事の時だけだったみたいです。
漫画のような長机に両親と5人の子供が座り、一番上座に大川隆法さん、その次に母親の大川きょう子さん、そのあとに兄弟が上から順に並ぶという食卓だったのです。
学業の面でも見てもらっていたので、担当の子供の成績が下がると秘書がクビになることも普通にあったようです。
そのため子供が喋ることで粗相をしてしまったり、教育が行き届いていないと評価をされると担当の秘書がクビになるので、余計なことを言うなとしつけられていました。
両親から「最近学校はどうだ?」と質問され、その返しで下手なことを言うと後で秘書の人からトイレでボコボコに殴られることもあったみたいです。
長男の大川宏洋さんは3、4歳の時から毎日殴られることが当たり前だったと振り返っています。
こんなことをされると、ますます萎縮して何も言えなくなりますよね…
恐怖政治…と言っても過言ではない環境ですね…
家族団らんの旅行…ではなく地獄だった軽井沢旅行
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そんな大川隆法さんの家族も子供たちが小さいころには、家族で旅行に行く「団らんの時間」があったとのこと。
ディズニーランドや大阪、軽井沢の別荘に行くことがあり、旅行の計画は母の大川きょう子さんでした。
家族旅行とはいえ秘書が大勢ついてきて、まるで大名行列だったみたいです。
大川宏洋さんは子供ながらに「自分たちが特別なんだ」と風を吹かせる感覚が恥ずかしくてたまらなかったと振り返っています。
夏休みに軽井沢の別荘に行く時は、勉強合宿のようでお盆が空けるまでの3週間は延々と勉強をさせられていたとのこと。
「逃げようにも逃げられないので、その時は本当につらかった。夏の軽井沢は今でも好きではない」と大川宏洋さんは語っています。
この状態だともはや家族旅行ではなく勉強合宿ですね…
勉強漬けの合宿…ドラゴン桜でやっていたようなことが現実にもあったのですね…
玄関と部屋に監視カメラ…サボると「何やってんだ!」
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子供が小学生になると、通学は車で送り迎えがあったとのこと。
学校が終わるとすぐに運転手に車に乗せられて塾に直行。
友達と遊ぶのも塾と習い事以外の外出も一切禁止され、テレビやゲーム、漫画も禁止。
分刻みで決められた勉強の日々をこなしていたようです。
家の玄関と部屋に監視カメラがついていて、ちゃんと勉強しているか監視されていたようです。
サボっていると「何やってんだ!」と母の大川きょう子さんがすっ飛んで怒りにくるといった状況でした。
自由を奪われて強制的な環境…お子さんたちは過酷な環境を過ごしていたのですね…
「東大・早慶以外は高卒と同じ」が大川隆法の価値観
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大川隆法さんも大川きょう子さんも出身は東京大学。
そのため子供に対する学業への要求は過剰に厳しかったようです。
「東大・早慶以外は大学ではない、それ以下は高卒と同じ」という偏った価値観を持っていた大川隆法さん。
大川宏洋さんが早稲田大学附属の早大学院を辞めて、早稲田より偏差値が下の青山学院高等部に進学すると報告した時も「大学受験をして東大法学部に入ってほしい」と要望されます。
しかし大川宏洋さんが東大に入らないと宣言すると、大川隆法さんは呆然としていました。
「君の考えていることが理解できないよ」と言われた大川宏洋さん。
「父がもし私に向けている愛があるとすれば、それは自分の二号を作りたいという『いびつな愛』だったと思うのです」と後継者として自分を将棋の駒のように動かせると考えていたのではないかと振り返っています。
結局、大川隆法さんの要望通りに東大・早慶に行ったのは、早稲田大学に進学した次男の大川真輝さんと東京大学に進学した三男の大川祐太さんの2人だけでした。
こうして見ると、大川隆法さんももしかすると両親から学歴至上主義の教育を受けていたのかもしれませんね。
一番寵愛を受けていたのは長女の大川咲也加
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大川隆法さんが子供の中で一番かわいがっていたのは長女の大川咲也加さんと言われています。
大川家では門限が決められていて、夕食の時間は午後6時からと決まっていました。
大川咲也加さんがその時間に帰ってこないときがあると、大川隆法さんは仕事も手につかない状態になっていたそうです。
そのため大川咲也加さんはその時間には必ず帰るようにしていました。
また東日本大震災で大川咲也加さんが帰宅困難になった時、大川隆法さんはかなり取り乱していたようです。
深夜になってようやく大川咲也加さんが帰宅すると「よかった、さやちゃん!もうパパ、会えないと思ったよ。本当にどうしようかと思った」と心底安堵していました。
大川宏洋さんから見て、娘を愛する父親の顔になっていたと語っています。
対して同じ娘でも末っ子で次女の大川亜里沙さんは真逆で、あまり関心が無かったとのことです。
大川隆法さんが子供の中で気に入っていたのは大川咲也加さんと自分と同じ進路を進んだ大川祐太さんの2人ということになります。
こうして見ると総裁といえど大川隆法さんは好き嫌いが激しい見え方がしますね!
大川隆法は離婚していた!
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大川隆法さんは実はバツイチなのです。
前妻の大川きょう子さんが居て、5人の子供はみんな大川隆法さんと大川きょう子さんの間に産まれた子供です。
なぜ2人は離婚することになってしまったのでしょうか?
そこには教団関係にありがちな確執があったのです。
前妻・大川きょう子と離婚した理由
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大川隆法さんは前妻の大川きょう子さんと2012年に離婚しています。
離婚が発表された当初は、一部の報道で大川隆法さんの女性問題が原因だったと報じられていました(教団側はこれを否定しています)。
ですが長男・大川宏洋さんから見ると「教団の運営を巡る見解の違い」が離婚に至る直接的な原因だったと語っています。
もともとは大川隆法さんが総裁、大川きょう子さんが副総裁という立場でした。
教団を運営していくにあたって、大川きょう子さんは「こじんまりとしてもいいから、自分たちの身の丈に合った範囲でやりましょう」という方針でした。
それに対し大川隆法さんは拡大路線を掲げ、家庭の調和よりも野望を選択する…自分自身の夢を大事にする運営方針でした。
女性秘書への嫉妬…徐々に軋轢が生じて離婚へ
大川隆法さんと大川きょう子さんの間に徐々に軋轢が生じ始めます。
離婚の兆しが見え始めたのは1997年頃。
末娘の大川愛理沙さんが生まれた頃に、大川きょう子さんが大川隆法さんについている女性秘書に嫉妬していたという出来事が起こります。
長女・大川咲也加さんは「おそらく母は仕事上でも家庭内でも、自分が総裁先生のパートナーであると思っていて、『大行事の進行役がほかの秘書に取られると、妻の座もとられる』という発想だったのだと思います」と自身の著書で書き綴っています。
他にも大川きょう子さんが大川隆法さんに対して強い言葉を浴びせたり、大川隆法さんが講演や仕事に向かおうとすると「行かないで!」と止めるようになったと言います。
総裁の仕事に影響が出ると見かねた職員たちが大川隆法さんと大川きょう子さんを引き離して別居…そのまま離婚へと向かっていくことになったのです。
「離婚したくない」大川隆法に見えた迷い
大川隆法さんと大川きょう子さんの距離が開いていき、大川隆法さんは落としどころとして大川きょう子さんを名誉職に据える体制を整えます。
しかし大川きょう子さんはこれを拒否。
5人の子供たちが間を取り持とうとするも結局交渉は決裂し、離婚裁判へと発展します。
離婚裁判の間、長男・大川宏洋さんから見ると大川隆法さんは裁判中、ずっと揺れ動いていて、大川きょう子さんと離婚したくないような感じにも見えた様子でした。
裁判の末、2012年に離婚が成立し大川きょう子さんは幸福の科学から永久追放されることになります。
大川宏洋さんは
- 「お互いに嫌いになって離婚したわけじゃなく、離婚した後も相思相愛だったのではないかな。紫央と再婚しましたが、きょう子さんのことは多分、別格。強烈に好きだったように、側から見ていてもずっと感じていました」
と語っています。
大川隆法さんの訃報を聞いて、大川きょう子さんはインタビューで
- 「夫が生きているうちに謝りたかった。私は子供の教育に熱心すぎて、彼の宗教家としての活動を邪魔していたのかもしれません。宗教家というのは死ぬまで悪魔と戦うものなのだそうです。それを邪魔した私を許してくれていた。離婚後は教団を敵に回すようなことも話してきました。それらを生きているうちに謝り、和解したかった」
と涙ながらに語っています。
こうして見ると大川宏洋さんが言うように、好きだからこそ反省の言葉や涙が出てくるのでしょうね。
運営方針を巡っての衝突…どちらの言い分も正しいので難しいですよね…
前妻・大川きょう子のプロフィール
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大川きょう子さんは1965年に秋田県矢島町で生まれました。
旧姓は木村恭子で父は開業医をしていました。
学歴は矢島町立矢島小学校→秋田大学附属中学校(現・秋田大学教育文化学部附属中学校)→東京学芸大学附属高等学校→東京大学文学部英文科というエリートコースを歩んでいます。
頭はかなりキレるようで、小・中学校ではテストで満点ばかり取っていたみたいですよ!
もともと中学校は矢島町立矢島中学校に通学していましたが、2年生一学期の終わりに秋田大学付属中学校の転入試験を受け、見事に合格!
中学生ながら親元を離れて下宿生活することになります。
身の回りのことをすべて自分でしながら、勉強の道筋を立てるのは大変だったようです。
宗教への興味は中学3年生から
中学3年生の頃に大川きょう子さんは宗教に深く目覚め、「聖書」の勉強をするようになります。
高校でも宗教への興味は衰えることなく、キリスト教や仏教などの勉強をしながら、宗教的思索に励んでいました!
そして東京大学に進学し、大学4年生のころに幸福の科学と大川隆法さんに出会います。
大川隆法さん主催の勉強会への参加や西荻窪の事務所でボランティアなど、宗教活動に熱心に励んでいました。
大川隆法さんと結婚した後は、幸福の科学で総裁補佐、副総裁、立宗名誉補佐を務めし、大川隆法さんを支えるとともに5人の子育てをしていました。
2009年には幸福の科学の政党「幸福実現党」の党首代行を経て党首となります!
現在はカトリックに宗派替え
2012年に大川隆法さんと離婚し、幸福の科学を追放された後はカトリック…いわゆるキリスト教に宗派替えをした大川きょう子さん。
もともとキリスト教に関しても勉強していたので、戻ったという言い方の方が正しいのでしょうか!
2013年に「宗教団体Life&Trush」と「公益財団法人みちのく衛生の会」を立ち上げています。
2015年以降は表立った活動を控えていましたが、2023年3月4日に長男・大川宏洋さんが大川隆法さんの自宅前デモを行った際に姿を見せ元気な様子でした!
充実した生活を送っているみたいで何よりですね!
前妻・大川きょう子との馴れ初め・結婚の決め手
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大川隆法さんと大川きょう子さんは幸福の科学の勉強会で出会います。
大川きょう子さんが大学4年生の時に幸福の科学に入会。
この頃はまだ教団ができたばかりだったので人数も少なかったのです。
大川隆法さんから見ると、同じ大学に通っているということで最初から気になる存在だったみたいです。
2人は宗教活動をしていくうちに距離が徐々に縮まり、交際に発展!
双方ともに交際経験がこれまで無かったため、周りから見るとまさに「純愛」だったようです。
大学卒業後にすぐに結婚し、式を挙げます!
その翌年1989年2月には長男の大川宏洋さんが誕生しました。
交際から結婚まで本当に早かったことがわかりますね!
2人とも運命的なものを感じたのかもしれないですね!
前妻・大川きょう子との結婚生活中エピソード
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結婚生活では主に子育てや教育に関しては、大川きょう子さんが担当をしていたようです。
大川きょう子さんの教育は厳しいものだったようで、長男の大川宏洋さんは「きょう子さんが僕のところに来るときは怒るとき。だいだいボコボコにされていた」と語っています。
家族旅行では大川きょう子さんが計画し、ディズニーランドや大阪、軽井沢の別荘に訪れるなど当初は順調な結婚生活を送っていたみたいですね!
幸福の科学では「文殊菩薩」「ナイチンゲール」の生まれ代わりとして崇められ、 女性信者組織「アフロディーテ会」会長を務めるなど頭の切れる存在として大川隆法さんを支えていました。
前妻・大川きょう子と子供との関係
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大川きょう子さんは5人の子供全員と血が繋がっています。
子育てや教育に関して大川きょう子さんが担当していましたが、大川隆法さんと別居後は子供に会わせてもらえなかったみたいです。
それどころか子供たちからは大川隆法さんの入れ知恵で悪魔呼ばわりされ、離婚裁判では親権を取られてしまったようです。
現在でも長男の大川宏洋さん以外には再会できていないようで、心配している様子を見せていました。
親権はよほどのことがない限りはお母さんが取るようにできているのですが…
これももしかすると見えない力や忖度があったのかもしれないですね。
前妻・大川きょう子への慰謝料、財産分与
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大川隆法さんと大川きょう子さんの離婚裁判は決着するのに4年ほどかかりました。
揉めに揉めていたようで、最終的に慰謝料は大川隆法さんから大川きょう子さんに対してなんと3億円!
その代わりに親権は大川隆法さんに流れるという結末になったようです!
3億円なんて桁違いの額ですよね…想像もつかないです…
このことがきっかけで、大川隆法さんは自身の財産を教団の持ち物に変えたそうです。
いわゆる財産隠しのためですね。
これ以上高額な財産を取られないように教団組織の持ち物に変えたのでしょうね。
大川隆法の最期を共にした再婚した嫁
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大川隆法さんは大川きょう子さんと離婚した後、大川紫央(しお)(旧姓:近藤紫央)さんとわずか1か月後に再婚します。
離婚してからすぐの再婚だったので、中には離婚前には男女の関係に発展していたのではないかという声もありました。
また、大川隆法さんとの年齢差はなんと29!
長男・大川宏洋さんとは年齢が4つしかないことも年の差婚で話題となりました!
そしてこの大川紫央さんが大川隆法さんにとって最期を共にする伴侶となるのです。
嫁・大川紫央のプロフィール
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大川紫央さんは1985年9月22日に徳島県美馬市脇町で生まれました。
小学校や中学校、高校は公表されていないため、どこに通っていたかは不明ですが大学は早稲田大学の法学部に通っていました。
早稲田大学法学部の偏差値は67.5とされているため、頭の方はかなり良いみたいですよ!
早稲田大学卒業後は日本銀行に入社。しかしわずか1年で退社します。
その後、家族が『幸福の科学』の信者だったこともあり幸福の科学に入信します。
幸福の科学では宗務本部第一秘書局長、 専務理事等を務めます。
これは幸福の科学内では異例のスピード出世だったみたいです!
周りから見た大川紫央さんの評判は「真面目で優秀なお嬢さん」という評価だったみたいです。
嫁・大川紫央との馴れ初め・結婚の決め手
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大川紫央さんがどんどんと幸福の科学内の中で出世していることは大川隆法さんの目にも留まっていました。
2012年に大川きょう子さんと離婚して傷心中だった大川隆法さんは、再婚しようと動いていました。
その中で長男・大川宏洋さんに自身の再婚相手として3人の候補を出し「誰が良いと思う」と相談します。
3人の中に大川紫央さんも入っていました。
そして大川紫央さんを再婚相手として推薦したと大川宏洋さんは語っています。
大川紫央さんを推薦した理由としては
- 大川紫央さん以外の候補2人が欲望にまみれ気持ちが悪かった
- 他の2人は教団での自分の地位や財産についてばかり考えているような言動が目立った
- 大川隆法さんと大川紫央さんの仲が普通に良かった
- 大川隆法さんと大川紫央さんの出身が同じ徳島県ということで話も合うし良いのではと思った
と理由を挙げています。
わだかまりはあった大川宏洋さんと大川隆法さんですが、しっかりと総裁の父の立場を考えて大川紫央さんを選んだのですね!
このことで大川隆法さんは大川紫央さんと再婚することになりました!
嫁・大川紫央との結婚生活中のエピソード
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大川紫央さんは大川隆法さんと結婚して、これまで以上の激務になっていました。
多忙な中でもいつも冷静で朗らかだったと周りから言われています。
大川隆法さんは大川紫央さんのことを「癒される。パンダと暮らしているみたいだ」と評しています。
大川隆法さんが癒されると表現するということは、幸せな結婚生活を送れていたのでしょうね!
嫁・大川紫央に子供はいない!
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大川隆法さんと大川紫央さんの間に子供はいません。
妊活には励んでいたという情報がありましたが、あまりうまくは行かなかったみたいです。
大川紫央さんが子供のできにくい体質だった、5人の子供が大川紫央さんと血が繋がっていないので大川紫央さんが子供を産むとお家騒動に発展する恐れがあるので避けているという情報もありましたが、どれも定かではありません。
嫁・大川紫央と前妻・大川きょう子の5人の子供との関係
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大川紫央さんと5人の子供たちは血が繋がっていないということもあり、関係を築くのは想像をするだけでも難しそうです。
しかし生前の大川隆法さんによると「生みの親(前妻)よりも子育てが上手なのではないかと思っています。生みの親のほうは、自分の才能と子供の才能とを引き比べながら競争するようなところがありました。「前回は、そういうところは、あまりうまくいってなかったのかな」という気持ちがあったのですが、紫央さんは、そのあたりを実にうまく回しているので、「上手だなあ」と思っています」と大川紫央さんと子育ての術をべた褒めしています。
しかし大川隆法さんが亡くなってからは長女の大川咲也加さんと仲違いしたという情報もあり、5人の子供もバラバラになっているのでやはり信頼関係を築くのは難しかったのでしょうか…
それでも5人それぞれが自分の道を歩み始めたという風にとらえて、大川紫央さんと子供たちもこれから前に進める人生になるといいですね!
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