【ナイジェリアと日本のハーフ】宮部藍梨がバレーに乗り気じゃなかったってホント!?

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本記事では、日本女子バレーボール代表の宮部藍梨選手を徹底調査します。

2024年に開催されたパリ五輪の代表にも選ばれ、ミドルブロッカーとして活躍を果たした宮部藍梨選手ですが、バレーボールを始めた当初は、そもそもバレーに乗り気じゃなかったんだとか…!?

果たして真相はどうなのか深掘りしていきますので、興味のある方はせひ最後までご覧ください。

宮部藍梨はナイジェリアと日本のハーフ!


画像引用元:HimejiVictorina

どこかエキゾチックできれいな顔立ちをしている宮部藍梨選手。

それもそのはず、彼女は日本とナイジェリアのハーフなのです!

ナイジェリアがどこかぱっとしない方もいるかもしれません。

ナイジェリアはギニア湾に面したアフリカの国で、自然界の名所や野生動物保護区が多数あることで有名です。

日本からナイジェリアまでの距離は、飛行機の片道で約21時間20分ほどとなります。

父親がナイジェリア人


画像引用元:Instagram

宮部藍梨選手は、父親がナイジェリア人です。

181センチある身長や驚異的なジャンプ力、筋力などの身体能力は、父親譲りなのかもしれません。

父親の職業は明かされていませんが、裕福な家庭で育ったことは検討がつきます。

宮部藍梨選手はアメリカに5年留学していますが、留学中の費用は父親が負担しているのがひとつの理由です。

また、宮部藍梨選手の妹である宮部愛芽世選手も世界で活躍するバレーボール選手です。

姉妹二人を日本代表選手に成長させるには、金銭的なバックアップも必須のはず。

さらに、宮部藍梨選手がお守り代わりに毎回試合につけているネックレスは両親からの贈り物で、高級ブランド「カルティエ」の40万円を超える品物ではないかと噂されているのです。

これらの理由から、父親ないし母親にはかなり経済力があるものと予想されます。

母親が日本人

宮部藍梨選手の父親がナイジェリア人である一方、母親は日本人です。

母親の素性も明かされていませんが、宮部藍梨選手が普段関西弁を話すことや出身が兵庫であることから、母親の地元が関西であることは間違いなさそうです。

宮部藍梨選手と母親が関西弁で会話している姿が気になりますよね!

両親の馴れ初め~結婚に至るまで

宮部藍梨選手のご両親の馴れ初めや、結婚までのエピソードは残念ながらわかっていません。

しかし、宮部藍梨選手の出身地が兵庫県尼崎市であることから、宮部藍梨選手が幼い時から家族で関西に住んでいるものと思われます。

母親がナイジェリアへ観光や留学で訪れたのか、それとも父親が日本に訪れたのか、2人の出会いが気になりますね。

宮部藍梨の国籍は日本!

ナイジェリア人の父親と日本人の母親をもつ宮部藍梨選手ですが、国籍は日本です。

アメリカ留学の目的のひとつが語学力を鍛えることだったので、公用語が英語のナイジェリアでは暮らした経験はないと考えられます。

見た目でハーフだとすぐにわかる彼女が、関西弁を話す姿がギャップはとてもかわいらしいです!

宮部藍梨がハーフとして苦労したエピソード

ハーフの方は、外見から差別されたり文化や言語の違いで距離を置かれてしまうなど、何かと苦労することが多いイメージです。

ハーフである宮部藍梨選手も、何か苦労されていたことがあるかもしれません。

特にこれまでに苦労したエピソードは見つかっていないので、幼少期から現在まで、仲間や周りの環境に恵まれて楽しくバレーボールに打ち込めているのではないでしょうか。

宮部藍梨の生い立ち

宮部藍梨選手はどのように育ち、バレーボールへの世界へと踏み込んだのでしょうか。

幼少期から日本代表に選ばれるまでの生い立ちを深掘りしていきます。

幼年期のエピソード


画像引用元:Instagram

残念ながら、宮部藍梨選手の幼年期のエピソードはみつかりませんでした。

SNSに当時の写真が掲載されていますが、無邪気な笑顔がとてもかわいらしいですよね。

今ではチームのムードーメーカーでもあるので、この頃から明るく活発なお子さんだったのではないでしょうか。

小学生時代のエピソード

宮部藍梨選手が通っていた小学校は、兵庫県尼崎市金楽寺町にある公立学校の尼崎市立金楽寺小学校です。

宮部藍梨選手がバレーボールを始めたのは小学校3年生の頃

もともとバレーボールに興味はなく、テニス部に挑戦していたそうです。

当時は、自信が興味をもってバレーボールを始めたわけではなく、チームの人数が足りず助っ人として呼ばれ、いやいやチームに加入しました。

その後もチームを辞めたい本心がありつつ、自分が辞めることで人数が不足しチームが試合に出られなくなってしまうのが申し訳なく、バレーボールを続けていたそうです。

また、チームに誘った友人が加入したことで自分が辞めるのは悪いとも思い、チームを辞めることに失敗しました。

今では世界で活躍している選手が、当時はバレー自体に乗り気でなかったことに驚きです。

そんな宮部藍梨選手に転機が訪れたのは、小学6年生のころに出た県大会です。

強豪校相手に点数が獲れたのがうれしかったと語っています。

この試合がきっかけで、バレーボールに対する気持ちに変化がみられたようです。

中学生時代のエピソード

宮部藍梨選手は、小学校卒業後、私立の金蘭会中学校に進学します。

金蘭会中学校・高校は、バレーボールの強豪校で有名です。

入学前は、「バレーができて家から通えるところがいいな」と特に金蘭会中学校への入学には消極的だったそうですが、恵まれた体格や小学生時代の功績で推薦がとれ、入学が決まりました。

2013年末に行われた全国都道府県対抗中学バレーボール大会では、最も将来有望な選手に与えられるJOC・JVAカップを受賞しています。

高校生時代のエピソード


画像引用元:X

宮部藍梨選手は2014年、金蘭会高等学校へ進学しています。

同年2020年に東京五輪へ向けた、日本協会の集中強化対象「Team CORE」男子10人・女子8人)に選ばれると2014年10月のアジアユースバレーボール選手権(U-17カテゴリ)では、優勝に大きく貢献し、MVPに選出されました。

2015年1月には、全日本高校選手権に1年生エースとして出場。

決勝では同じ大阪の大阪国際滝井高校と対戦し、両チーム最多の24得点を挙げチームの初優勝に貢献しました。

2015年4月、高校生でただ一人日本代表に選出され、ワールドグランプリの登録メンバーにも選出されています。

中高時代からこんなにも活躍している宮部藍梨選手ですが、実は金蘭会(中高)にいた6年間の間で計4回程辞めたいと監督に申し出たことがあるそう…!

強豪校なだけに練習も厳しく、メンタル面にも影響がでたのが理由のひとつのようです。

しかし、4回にわたった申し出は、ことなく見事に失敗したそうです。

日本代表に選ばれる功績を残していながらも、裏ではバレーを辞めたい葛藤があったのですね。

大学時代のエピソード

高校卒業後は神戸親和女子大学に進学し、2017年9月からアメリカの2年制大学であるサウスアイダホ大学留学しています。

留学を決めた理由を、以下のように語っています。

  • 「人生でバレーができるのは20年くらいで、競技を終えた後も生きていかないといけない。私は米国へ行って勉強がしたかったし、違う環境にも身を置きたかった。自分のしたいことを考えて選択した進路が留学だった」

留学中は勉強と競技の両立に励んでいた宮部藍梨選手。

2年時にはNJCAAディヴィジョンI全米選手権決勝で最多23得点、サービスエース2本を決め優勝に貢献し、AVCAが制定する2年制大学部門の女子年間優秀選手に選ばれました。

2019年にはミネソタ大学に編入し、2022年まで在学しています。

大学院時代のエピソード


画像引用元:産経新聞

ミネソタ大では、大学院も含め3年間ヒュー・マッカーチョン氏の指導を受けています。

当時は、「すべてを基本から習い直した」「高いブロックに対してどう戦うかを考えた」と語っていた宮部藍梨選手。

バレーボールだけでなく、スポーツビジネスを勉強したり語学力を高めるなど、充実した日々を送っていたそうです。

ちなみに、大学院の卒業論文のテーマは「オリンピックの経済効果」

難しそうな内容ですが、オリンピックをただの選手同士がメダルを競い合う競技大会でなく、違う角度から捉えているのが素晴らしいですね。

アメリカ留学では、「人間的に成長できた」と語っていた宮部藍梨選手。

アメリカ留学から帰国した2022年の3月には日本代表復帰、5月にはヴィクトリーナ姫路に入団しています。

留学の経験を活かし、チームでは通訳も担当しているのだそう。

海外リポーターとの通訳もできる宮部藍梨選手は、チーム内の即戦力だけでなく、外部との連携やチーム内のコミュニケーションを深めるのに必要不可欠な存在になったでしょうね!

宮部藍梨がバレーボール選手を目指したきっかけ


画像引用元:Yahoo!ニュース

学生時代は、バレーボール選手を目指すどころか、何度もバレーボールを辞めたいと言っていた宮部藍梨選手。

そんな彼女がバレーボール選手を目指したきっかけとは一体何だったのでしょうか。

バレーボールに対し無欲だった中学生時代は、高校に入ってから続けるつもりはなく、2020年の東京オリンピックに向けて積極的に発言することもありませんでした。

しかし、中学3年生のときのJOC・JVAカップの受賞や、異なる年代の選手と接する機会が多くなるにつれ、刺激を受けて少しずつ日本代表への意欲が膨らんでいます。

春高優勝時の主将も、「エースの自覚が出てきました」とコメントしていました。

これまでの功績や他の選手の影響を受けて、本格的にバレーボール選手を目指したものと思われます。

実際に、現在は日本代表選手にも選ばれる実力をもつ宮部藍梨選手。

今後の益々の活躍に目が離せません!!

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