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漫画家、永田晃一先生の人気漫画「鬼門街」。
作品を描くきっかけとなったのは、親友の理不尽な死でした。
そしてなぜか永田晃一先生の死亡説までインターネット上であがっていましたね。
今回は永田晃一先生と漫画「鬼門街」について解説していきます。
ぜひ最後までお付き合いください。
鬼門街の作者死亡説はガセ
画像出典元:X
漫画「鬼門街」はヤングキングで連載していました。
途中休載期間があり、休載期間中に作者である永田晃一先生の死亡説が噂されています。
もちろん永田晃一先生はご存命ですので噂はガセネタです。
ではなぜ永田晃一先生の死亡説が流れたのでしょうか。
鬼門街の作者死亡説が流れた理由
永田晃一先生の死亡説が流れたのは、約2年間という長い休載期間があったからでしょうか。
鬼門街は2015年8月10日発売のヤングキング17号から連載が開始され、2021年6月14日発売のヤングキング13号を最後に休載に入りました。
約2年間の休載期間を経て、2023年5月8日発売のヤングキング11号から連載再開になっています。
この休載期間中に永田晃一先生の死亡説が流れたのです。
しかし、休載中も永田晃一先生のSNSは更新されていて、なぜ死亡説が流れたのか不思議なところもありますね。
インターネット上の噂話は「なんで!?」と思うものもあり、見ていると面白いです!
鬼門街が作られたきっかけ
画像出典元:Amazon
人気漫画となった「鬼門街」ですが、作品を描くきっかけとなった出来事は悲しみ溢れるものでした。
永田晃一先生が鬼門街を描くきっかけとなった出来事について解説していきます。
きっかけは作者・永田晃一の親友の事件
鬼門街を描くきっかけとなったのは、永田晃一先生の親友マー君こと太田雅人(まさひと)さん(当時39)が事件に巻き込まれたことでした。
2013年11月23日、東京都内で仕事をしていた永田晃一先生のところに友人から電話がありました。
「マー君が意識不明の状態で発見されて病院に担ぎ込まれた」
電話をくれた友人から「事件に巻き込まれた」と聞き、理解できなかったそうです。
太田雅人さんは地元・名古屋で保育園から一緒の幼馴染で、理学療法士として働き、真面目で喧嘩をするような人ではなかったからです。
すぐに荷物をまとめて新幹線に飛び乗り、愛知県へ向かいました。
親友が若者3人に集団暴行を受ける事件が発生
太田雅人さんは友人に連れられて名古屋市中区錦3丁目のバーに飲みに行きました。
バーからの高額な料金をめぐりトラブルとなり、店員2人と客の男の3人から執拗な暴行を受けたのです。
治療もうまく行かず、親友は死亡
画像出典元:朝日新聞
永田晃一先生が太田さんの病室に駆けつけた時には、たくさんの管につながれた太田雅人さんがいました。
顔は3倍に腫れあがり、永田晃一先生の記憶にある顔ではなく、布団から出た足だけが見覚えがあったそうです。
永田晃一先生は太田雅人さんの手を握り泣き崩れました。
治療の甲斐なく親友の太田雅人さんは翌日に死亡しました。
出口の見えない無意味な気持ちになった作者・永田晃一
大切な親友を理不尽に奪われた永田晃一先生は、漫画が描けなくなり、当時連載していた作品も休載しました。
親友がどうしてこんな目にあわなければいけなかったのか。
考えても考えても答えは見つからず、出口が見えない気持ちでなにもかもが無意味に感じてしまったそうです。
親友のような悲劇を少しでも減らしたいために作られた「鬼門街」
親友の太田雅人さんが亡くなってから約1ヶ月、永田晃一先生は仕事を再開しました。
親友のためにも漫画を描き続けようとしたのですね。
考えていた約1ヶ月の間に鬼門街の構想が固まり、永田晃一先生の想いが鬼門街に詰め込まれています。
少しでもこの世界から「理不尽な死」がなくなりますように。
願いを込めながら永田晃一先生は筆をとっています。
作者・永田晃一が漫画家になるまで
画像出典元:毎日新聞
作者である永田晃一先生が漫画家になるまでの経緯を調べてみました。
漫画家になるまでも、たくさんの出来事があったようです。
幼年期は男手一つで父親に育てられる
両親は永田晃一先生がまだ2歳の頃に離婚し、幼少期は男手一つで父親に育てられていたようです。
しかし児童相談所に保護されることもあったようですね。
生活が困窮し、姉と施設に預けられる
永田晃一先生の家は生活が困窮していたこともあり、4歳の時に2歳年上の姉と共に児童養護施設に預けられます。
その日は突然で、4歳という年齢もあってか、自分に起こっている生活の変化をいまいちよく理解していなかったそうです。
画像出典元:東京新聞
4歳から中学卒業までの11年間、児童養護施設で過ごしました。
中学卒業後に施設を出て就職するも、続かず18歳で上京
中学卒業後は施設を出て就職したものの、続かずに辞めてしまいます。
18歳で上京して、アルバイトで生計を立てていました。
漫画家を取り上げた雑誌を読んで「描いてみるか」と決意
アルバイトで生計を立てている中、漫画家を取り上げた雑誌を読んで「描いてみるか」と思いつきます。
思いつきで漫画家を目指そうとすることに驚きますね。
行動力が素晴らしいです!
しかし絵は得意だったようですが、独学だったためうまくいきません。
好きだった漫画家に弟子入りし、8年間アシスタントに携わる
好きだった高橋ヒロシ先生に20歳で弟子入りし、アシスタントとして8年間携わりました。
高橋ヒロシ先生は「クローズ」で知られていますね。
8年間のアシスタントを経て独立します。
独立後、アウトロー系の漫画を描く
28歳で独立後は「Hey!リキ」や「鬼門街」「鬼門街KARMA」など主にアウトロー系の漫画を描いています。
「Hey!リキ」はもともとは高橋ヒロシ先生のデビュー作として連載されていましたが、長編作品としてリニューアルされた際に永田晃一先生が作画担当として携わることができたみたいです!
鬼門街の作者・永田晃一の現在と今後の展望
永田晃一先生の波瀾万丈な人生が全て、描いている漫画に通じているんですね。
私も調べながら言葉を失う出来事に涙しました。
永田晃一先生は独立してから走り続け、途中リフレッシュ期間もありました。
リフレッシュ期間中はプライベートを満喫できたのではないでしょうか。
ファンが心配するほどの長さでしたが、休むことも仕事の内と言いますしね。
これからも休むときはしっかり休んでもらいながらも、走り続けて欲しいです。
まだまだ連載は続きそうですので、永田晃一先生が漫画に込める想いもしっかり読み解きながら、これからの作品を楽しんでいきましょう。
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