【1か月限りの復活!】男闘呼組が不祥事で消えた理由がもったいない…

男闘呼組とは、1988年にジャニーズからデビューしたロックバンドです。

当時は歌って踊る美少年が当たり前だったジャニーズでしたので、男闘呼組は、ジャニーズ産本格ロックバンドとして大きく注目を集めました。

実質5年の活動を持って活動を休止した彼ら。

そして、ときは流れ2022年に29年ぶりに期間限定で男闘呼組が再結成を果たしたというニュースが世間を飛び交いましたね。

今回は、そんな男闘呼組について迫ってみたいと思います。

男闘呼組結成の成り立ち


画像出典元:note

1984年に「ジャニーズからロックバンドを」という企画が立ち上がり、徐々にメンバーが集められていきました。

ロックや音楽の思考が強い者、ダンスやパフォーマンスとは別の輝きをもった者、そんな観点でメンバーが選定されていきます。

この年メンバーとなったのは、成田昭次さん、高橋和也さん、岡本健一さん。

翌年の1985年にはメンバーに遠藤直人さん、守屋二郎さんを加えて5名体制となり「東京男組」となります。

同年3月に前田耕陽さんがサポートメンバーとして加入し「男闘呼組」となったのです。

その直後、守屋二郎さんの脱退、土田一徳さんの加入を経て男闘呼組は始動したのでした。

程なくして土田一徳さんと遠藤直人さんが他方面の活動に専念したことで、現在の4人編成の男闘呼組が誕生、伝説のはじまりでした。

男闘呼組のメンバー

ここでは、結成当初からのメンバーを簡単に見ていきたいと思います。

成田昭次


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1968年8月1日生まれ、愛知県名古屋市出身の成田昭次さん。

ややヤンチャな印象も残るリードギターを担当したミュージシャン志向の強かった成田昭次さんは作詞作曲も多く手がけました。

ジャニーズ最強のギタリスト・野村義男さんからのギター指導で腕を磨いた本格派です。

高橋和也


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1969年5月20日生まれ、東京都世田谷区出身の高橋和也さん。

父親はライブハウス経営というロックのサラブレットである高橋和也さんはベースを担当。

岡本健一


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1969年5月21日生まれ、東京都新宿区出身の岡本健一さん。

木村拓哉さんにも似た抜群のルックスを誇る岡本健一さんはリズムギターを担当。

男闘呼組の中で最もロッカースタイルがハマるナードな雰囲気は、多くの男女の目を釘付けにしました。

岡本健一さんも野村義男さんからギター指導を受け、木村拓哉さんにギターを教えたといいます。

こうして、ジャニーズのロック路線が受け継がれていったのですね。

前田耕陽(リーダー)


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1968年8月16日生まれ、東京都八王子市出身の前田耕陽さん。

加入時期は最も遅いがリーダーとして男闘呼組の活動をけん引しました。

当初は楽器が出来なかったそうですが、努力の末にキーボードを習得しバンドサウンドに奥行きを持たせましたね。

守屋二郎(途中脱退)

1967年1月25日生まれ、東京都出身の守屋二郎さん。

大学受験という堅実な人生を選択し、男闘呼組を脱退します。

土田一徳(途中脱退)

1969年6月28日生まれ、北海道川上郡出身の土田一徳さん。

守屋二郎さんとの入れ替わりで加入しますが、ドラマなどの俳優業が専門となり加入後すぐに脱退しました。

遠藤直人(途中脱退)


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1969年4月20日生まれ、東京都足立区出身の遠藤直人さん。

男闘呼組の前身メンバー3名に次いで加入した遠藤直人さんでしたが、ダンスが得意であったため「忍者」としてデビューし、男闘呼組を脱退しました。

男闘呼組の全盛期の活躍


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活動開始時点でメンバーの度重なる脱退があった男闘呼組ですが、4人編成になったことで活動や音楽性はよりシャープになったのです。

そして、80年代後半のバンドブームという追い風に乗って男闘呼組は本格ロックバンドとして満を持して全盛期を迎えるのでした。

男闘呼組のコンセプトの根底には、矢沢永吉さんが率いていたキャロルのイメージがあるそうです。

そんな、ハードな不良スタイルも意識した男闘呼組は、男女問わず大きな人気を獲得していきます。

第30回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞!


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男闘呼組は1988年8月24日にシングル「DAYBREAK」でレコードデビューを果たしました。

大胆なカッティングギターのイントロと曲全体に色を着けるキーボードが80年代の洋楽ロックを彷彿させるこの曲はオリコンチャート1位を記録、62.3万枚にも及ぶビッグセールスとなります。

「DAYBREAK」は、1988年のシングル年間売り上げランキングでも4位にランクインする大ヒットとなりました。

ちなみに、同年のシングル売上ランキング1位~3位は光GENJIで1位から順に「パラダイス銀河」(87.4万枚)、「ガラスの十代」(67.3万枚)、「Diamondハリケーン」(67.1万枚)でした。

12月にはシングル「秋」(売上約43万枚)を、2月には「TIME ZONE」(売上約36万枚)を矢継ぎ早にリリースし破竹の勢いで快進撃を見せた男闘呼組は、同年の「日本レコード大賞最優秀新人賞」「優秀アルバム賞」を受賞したのでした。

このレコード大賞で新人賞を受賞したアーティストの中には2023年の年末に逝去した櫻井敦司さんを要するBUCK-TICKもいましたので、男闘呼組の躍動がご理解いただけるでしょう。

男闘呼組は、デビューして1年足らずで伝説的ロックバンドへと駆け上がったのでした。

NHK紅白歌合戦にも出場!

立て続けにヒットを連発した男闘呼組は、歌手やアーティストの晴れ舞台でもある紅白歌合戦にも2年連続で出場します。

1988年には「DAYBREAK」で、2年連続となった1989年には「TIME ZONE」で堂々たるパフォーマンスを見せた男闘呼組は、アイドルとは一線を画した「ロックバンド」としての地位を完全に不動のものにしたかに見えました。

男闘呼組に不祥事が発覚!


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1990年辺りからは、成田昭次さんを中心にメンバー自身が作詞作曲を手掛けるようになるなどアーティストとしての成長曲線をしっかりと描いていた男闘呼組。

高橋、成田、岡本のキーの異なるトリプルヴォーカルが奏でる色鮮やかな楽曲には定評も集まりはじめていました。

デビュー当時とは違う「バンド」としての佇まいが確立されはじめていた男闘呼組は、確実に次のフェーズに向かって前進を続けていたように感じます。

そんなとき、男闘呼組に「不祥事」という影が忍び寄っていったのです。

順調に見えた矢先に高橋和也の薬物使用疑惑

「不祥事」とは、高橋和也さんの「薬物使用疑惑」でした。

1993年、都内にて薬物を使用したのではないかという疑惑が「FOCUS」誌に掲載されてしまったのです。

80年代後半から、尾崎豊さんやBUCK-TICKの今井寿さんらのミュージシャンの薬物使用などが取り沙汰されていましたので、マスコミが過剰に後続を追撃していた時期でもありました。

高橋和也はジャニーズ事務所を解雇

この報道を受けて、高橋和也さんは即解雇、解雇理由は、「薬物使用”疑惑”と素行不良」だったそうです。

ロックミュージシャンという職業柄、多少の素行不良はやむを得ない部分もありますが、感情の起伏が激しく事務所としても不安を抱えていたと言われています。

こうして、高橋和也さんは事務所への弁解の余地なく男闘呼組を去ったのでした。

報道を受けて、高橋和也さんは親族も含めて「薬物使用疑惑」を完全否定していましたので、わだかまりの残る結果であったことは否めません。

男闘呼組は活動休止に追い込まれる

この時期、メンバー4人で出演していた舞台があり、その終演直後に高橋和也さんが解雇、ファンクラブも緊急解散。

男闘呼組は、抵抗のすべなく活動休止に追い込まれてしまいます。

当時ローティーンやそれ以下だった世代は、週刊誌にも縁がなかったため「男闘呼組は急に消えてしまった…どうして?」と感じていたのではないかと思います。

こうして、誰も予想していなかった急展開で男闘呼組の伝説はいともたやすく終焉を迎えてしまったのでした。

「薬物使用”疑惑”」という不確かな状態での活動休止はあまりにも残念で、現在に至るまで「これが消えた理由とはもったいない」と言われ続けていますね。

成田昭次の逮捕で男闘呼組復活は絶望的に…


画像出典元:B1A4 MUSIC

そして、2009年には男闘呼組の復活を絶望的にした事態が起こっていました。

成田昭次さんの「薬物不法所持」による逮捕です。

渋谷区の自宅で「違法薬物3gを所持」していたため現行犯逮捕となり芸能活動から遠ざかっていきました。

何かを忘れたかったのか、行き場のない感情の捌け口だったのか、自暴自棄の沙汰なのか、真実は誰にもわかりません。

このときの保釈金200万円はファンが支払ったのではないかという噂も流れており、当時は「成田昭次は完全に終わった…」という声もささやかれていましたね。

活動休止後の男闘呼組メンバーそれぞれの活動


画像出典元:Achive of STARTO

1993年に活動休止に追い込まれた男闘呼組のメンバーは、その後どのような活動を行っていたのでしょうか。

メンバーそれぞれ、簡単に振り返っていきましょう。

成田昭次

男闘呼組の活動休止後は、ドラマの主演やソロでのリリースを経て1995年にジャニーズ事務所を退所。

1997年にバンド「INORGANIC」を結成し、インディーズ活動を展開。

2001年には「What’s」を結成、2004年には日本クラウンに移籍し、再メジャーデビューしマキシシングルをリリース。

2009年の不祥事以降は、出身地である名古屋で一般職に就いていたようです。

高橋和也

解雇の後、1995年に「修行のため」と称して一時渡米。

当時、芸名であった高橋一也を本名の「高橋和也」に改名し俳優として再スタートを切ります。

1994年にはロックミュージシャンの遠藤ミチロウさんとユニットを組むなど尖ったロック志向も見せていました。

以降は俳優として数多くのドラマや映画、舞台、CMなどに出演し人気を博しています。

もしかすると、俳優・高橋和也しか知らない方も多いのでは、というほど多くの作品に出演していますね。

岡本健一

男闘呼組の活動休止後は1枚のソロアルバムをリリースして以降、俳優としての活動がメインになります。

そのロックな風貌を活かして「池袋ウエストゲートパーク」では狂気の音楽プロデューサーを演じるなど活躍。

2020年には実家の塗装会社の代表取締役になり家業を継いでいるそうです。

また、2021年にはジャニーズ事務所との契約を専属からエージェント契約に変更しています。

前田耕陽(リーダー)

活動休止後は、主にタレント業に専念しています。

一時は俳優業にも挑戦していましたが、後に「前田耕陽BAND」や「GODDESS」での活動も展開。

情報系番組への出演や趣味のパチスロを活かした芸能活動も展開するなど、幅広く活動しています。

一時期は「プロのスロット打ち」に転身したのではないか、という声もありました。

男闘呼組の再結成


画像出典元:日刊サイゾー

メンバーそれぞれが、独自の個性を生かしながらそれぞれの活動を展開してた時期は約29年にも及びました。

世間的には、ある意味では「時が解決した」という状態だったのかもしれませんが、男闘呼組に転機が訪れたのです。

伝説は再び目を覚まし、ゆっくりと動きはじめていました。

きっかけはジャニー喜多川氏のお別れ会での再会

その転機とは、2019年9月に行われた故・ジャニー喜多川氏のお別れ会。

この会には、成田昭次さんと岡本健一さんが参加したそうですが、そこでジャニー喜多川氏が生前「男闘呼組、またやればいいのに」と話していたことを知ったのでした。

この言葉は、成田昭次さんと岡本健一さんの心の中に火をともし、数日のうちに大火へと姿を変えていきます。

メンバー4人集まってスタジオで6時間セッション!

岡本健一さんが各メンバーにこの言葉を伝え、2019年中に名古屋のスタジオに4人が集合したそうです。

「一回、音を出してみよう」、そんな言葉から6時間にも及ぶセッションが繰り広げられたといいます。

不完全燃焼で活動休止に入ってしまった4人にはやり残したことがあったのでしょう。

ここで手応えを得たメンバーが、各所属事務所などとの調整を進めじわじわと再結成が現実味を帯びてきたのでした。

20数年間止まっていた時間が円滑に動き出すには、どうしても数年の時間が必要だったのです。

番組内で期間限定での活動再開を発表!

そして、2022年7月16日、TBSの「音楽の日」という特別番組内で衝撃の発表が行われます。

”29年ぶりの再結成”と”同年10月15日・16日に昼夜2回、東京ガーデンシアターで再始動ライブ”が告知されたのでした。

第64回日本レコード大賞で特別賞を受賞!


画像出典元:デイリー

このニュースや活動は瞬く間に日本全土を駆け巡り、大きなうねりとなったのです。

そして、2022年11月の「日本レコード大賞特別賞」受賞へと繋がっていきました。

男闘呼組のデビューを彩った「日本レコード大賞」の再受賞とは、なんとも粋な演出ですよね。

こうして、男闘呼組の再結成活動はメンバー本人たちだけに留まらず、ファンやメディアを巻き込んで増幅していくのでした。

ツアーやコンサート等53公演を終えて男闘呼組は解散

2023年4月28日からは全国ツアー「男闘呼組2023 THE LAST LIVE」に出た男闘呼組、ここでは当時さながらに21都市での白熱のライブを展開します。

そして、活動休止当時、ライブを予定していたところを中心に展開する8月16日、17日、24日、25日の「男闘呼組2023 LAST FOREVER」を日本武道館にて開催。

最後に、8月26日の「男闘呼組2023 THE LAST LIVE-ENCORE-」を日比谷野外音楽堂にて行い全53公演を終了、男闘呼組解散を飾りました。

29年ぶりに再結成して、日本武道館を4DAYS、日比谷音楽堂でのラストライブとは恐れ入ります。

まるで、ずっと現役でバンド活動を続けてきたバンドの解散のような人気は衝撃としか言いようがありませんね。

解散後は後身バンド「Rockon Social Club」として活動!


画像出典元:rockonsocialclub

しかし、男闘呼組の伝説はこれで終わりではありませんでした。

なんと「Rockon Social Club」という新バンドを結成して、より強力になってカムバックしたのです。

このような劇的な展開を誰が予想できたでしょうか。

実際にRockon Social Clubの楽曲を聴いてみたのですが、演奏力やテンポ、楽曲全体のアレンジや厚み、各メンバーの表現力や演奏力は、かつての男闘呼組を遥かに凌ぐ素晴らしいものになっていました。

付け焼刃の再結成や話題性だけの単発のイベントではない深さや厚み、覚悟を感じたのは、私だけではなかったはずです。

Rockon Social Clubメンバーのそれぞれの活動

Rockon Social Clubは、これまでの男闘呼組に加えて、ギター、ベース、コーラス、プロデューサーを担当する寺岡呼人さん、ドラムの青山英樹さんを加えた6人編成です。

ロックバンドとしての男闘呼組を母体に、ドラムスを入れたことでより重厚感を増したバンドサウンドを実現。

さらに、プロデューサーを据えることで楽曲や活動により明確なグルーブ感や一体感、ダイナミックなアンサンブルを備えた大人のロックバンドに進化したといっても言い過ぎではないでしょう。

ここでは、それぞれのメンバーの役割や近況などを見ていきましょう。

成田昭次

メインボーカルとギターを引き続き担当する成田昭次さん。

男闘呼組の再結成から芸能活動も増え、現在は「成田昭次のRockon The Knight」というラジオのパーソナリティも務めています。

2022年の春辺りから復帰プロジェクトが進行しており、その際にRockon Social Clubのメンバーにもなる寺岡呼人さんがベーシストとして参加。

そこからRockon Social Clubの構想が動きはじめたのでした。

高橋和也

メインボーカルとベースを引き続き担当する高橋和也さん。

引き続き俳優活動も積極的に展開中です。

男闘呼組のメンバーの中では最もメディアへの露出が多いため、もはやお馴染みといったところでしょうか。

岡本健一

メインボーカルとギターを引き続き担当する岡本健一さん。

2023年からは新生SMILE-UP(旧ジャニーズ事務所)とのエージェント契約を締結。

2024年2月には久しぶりの舞台「夜は昼の母」にも出演し健在ぶりを見せてくれました。

前田耕陽

引き続きキーボードを担当しつつ、ボーカルやコーラスとしての役割もやや増えた前田耕陽さん。

タレント活動と並行してYouTubeも展開、男闘呼組のセルフカバーなども披露しています。

そのYouTubeでは高橋和也さんとのコラボも実現させていて、ファンの間でも話題になっていましたね。

青山英樹

吉川晃司さんやBABYMETAL、B’zのバックバンドにも参加している超実力派の青山英樹さん。

スタジオミュージシャンやサポートドラマーと並行して、Rockon Social Clubに参加しています。

青山英樹さんの存在が、Rockon Social Clubのサウンドを確実に骨太にしたといえるほど、安定したドラミングを見せていますね。

寺岡呼人

人気デュオの「ゆず」のプロデューサーやアレンジャーも務める寺岡呼人さんは、元はJUN SKY WARKER(S)のベーシストとしてメジャーデビュー。

男闘呼組とJUN SKY WARKER(S)は活動時期がほぼ重なっており、同世代として共有する音楽的ルーツやバックボーンが合致していることもあって、Rockon Social Clubとしてのメンバーとの相性は抜群だと思われます。

近年は、「ゆず」のプロデュース、ライブイベント「Golden Circle」の主催、JUN SKY WARKER(S)再結成などに参加を経て、Rockon Social Clubでの楽曲制作、プロデューサーやアレンジ、ベース、ギター、コーラス参加など手腕を揮っています。

男闘呼組の不祥事に対する世間の声

歌って踊る美少年が当たり前だった時代に、ジャニーズ産ロックバンドとして登場した男闘呼組。

ジャニーズ産ロックバンドというだけでも世間からの賛否両論はあったでしょう。

そして、各メンバーがロックミュージシャンであるというプレッシャーや自負、プライドや葛藤の中で手探りで精一杯前に進んできたことは何物にも代えられない事実ではないかと思います。

そうした中で起きてしまった不祥事についての世間の声や受け止め方は人それぞれかもしれません。

しかし、再結成を受けてSNSで歓喜の声を上げたファンやそれを待ち望んでいたかつての投稿を見ると、男闘呼組というロックバンドが世の中に受け入れられていたことは確かです。

そして、当時「まだまだ男闘呼組を見ていたかった、活動休止なんてもったいない」と思っていたファンが相当数いたこともまた、確かでした。

もちろん、いまだ厳しい声があると思いますし、消えることはないかもしれませんが、Rockon Social Clubの今後の活動がそれらを払拭していくのではないかという期待や予感を感じますね。

Rockon Social Clubの今後の展望


画像出典元:YouTube

2023年2月から活動を開始したRockon Social Club。

ここまで、9枚のシングル、3枚のアルバムをリリースし、精力的な活動を見せていますね。

現在のところ2024年夏のツアー「KURE 5-56 Presents Rockon Social Club Reloaded Tour 2024」までの予定を発表しているRockon Social Club。

夏のツアーは2024年7月10日~9月5日までの全23公演、まるで若手バンドのレコ発ツアーのような勢いすら感じられますね。

この熱量から察するに、しばらくはこの体制で活動をしていくものと見られますし、そうあって欲しいと思わせる何かがあります。

4人編成時代にはできなかった、管楽器(ホーン部隊)を取り入れた厚みのあるサウンドやよりダイナミックになったロックサウンド、ピアノをメインに据えた本格バラードなど多彩な表現が可能になったRockon Social Clubには、まだまだ「可能性」があると思えてなりません。

これからの男闘呼組の4人とRockon Social Clubが作る伝説に大いに注目していきましょう!

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